人の承認欲求ってあるよね

承認欲求という言葉。様々なシチュエーションで当てはまる事が多い。

 

例えば、奢られるよりも奢った方が気持ちいい。

 

奢ろうとしていたが奢られてしまった人は、感謝よりも不快感の方が勝っているような反応をする。

 

奢った方は喜んで欲しかっただけなのに、逆に不快にさせてしまい後悔する事はよく起る出来事だ。

 

子供は親に褒めてもらおうと頑張っているのだが、逆に親は子供に適切なアドバイスをする事によって親の役割を果たそうとする。

 

アドバイスされた子供は親に認められていないと落胆し、さらにはやろうとしている事の方向性を決められた気がして窮屈に感じる。

 

親は、何故自分の有益なアドバイスが素直に聞いてもらえないのか不思議に思い歯がゆく感じる。

 

実は親は、何も具体的なアドバイスをするのではなく、献身的な行為をしてくる子供を認めてやる事が本来の役割なのだ。

 

子供は親の役に立つと感じる事で自信をつけ、外で前向きに振る舞えるのだ。

 

承認欲求の連鎖のピラミッドの頂点は、最終的には神格的な対象となるのだろうが、それまでのステップとして自分の承認欲求の対象を定めて置く事は有意義な事かもしれない。

 

いずれにしても、自分が承認されたいのは自分の問題なのでここでは一旦横に置いておいて、

 

他人から見て自分が承認欲求の対象である場合があるという事をよく認識して生きていく事が大切だ。